紙芝居博物館創始者 塩崎源一郎からのごあいさつ


『ふれあいの対話なくして平和なし』

 塩崎おとぎ紙芝居博物館 創始者 塩崎 源一郎

 

塩崎 源一郎(1912年~2000年)

 1912年 長野県上高井郡井上村(現・須坂市)に、十人兄弟の

長男として生まれる。17歳で上京、19歳で紙芝居と出逢い 街頭

紙芝居屋として東京で営業を始めた。その後、大阪市に移り住み

再び営業を始めるが、第二次世界大戦が勃発。戦後は、絵元となり

「三邑会」という屋号で数多くの紙芝居を制作し配給した。

また、紙芝居の原画の保存、若手の紙芝居業者の育成にも尽力。

1995年には、自宅を開放して「塩崎紙芝居博物館」を開館し

後 0歳の乳児にも紙芝居を・・・と、「塩崎おとぎ紙芝居博物館」と館名を変更、紙芝居文化の継承に力を注いだ。

 2000年5月25日 惜しまれながら逝去。

 

 

私は、第2次大戦直後の荒廃した世にあって、子供の心を明るくしようと、一念発起し、街頭紙芝居の絵元(製作元)・紙芝居総合センター「三邑会」を設立しました。

 

 街頭紙芝居の絵元とは、紙芝居画家に画をかかせ(製作)、紙芝居屋に画を貸し出す(配画)、紙芝居業者の中心的存在です。1995年、私は所蔵する紙芝居画3万巻(1巻は10枚合計30万枚)を紹介する「塩崎おとぎ紙芝居博物館」を創設しました。

紙芝居画は全て手描きで、世界に1枚しかないものばかりです。その中には、酒井七馬(手塚治虫の師匠)や武部本一郎(SF画の巨匠)、躍動する時代劇画と美人画の名手、佐渡正士良、山口正雄、くつな峰秀などの名画もふくまれています。

 

 また、「お笑いユーモアもの」「偉人伝」「チャンバラ時代劇」「探偵サスペンスもの」「お涙頂戴人情ばなし」「ほのぼの童話、昔ばなし」「活劇ヒーローもの」「奇想天外・支離滅裂もの」「宇宙サイエンス・フィクションもの」「怪奇ホラーもの」「とんちクイズ」など、子ども心をワクワク、ドキドキさせた、あらゆるジャンルのストーリーがそろっています。

 

 かつて、日本のあらゆる町や村で、子供たちの心をとらえてはなさなかった街頭紙芝居は、今、この塩崎おとぎ紙芝居博物館に生きているのです。皆様も、ぜひ、紙芝居原画の迫力と水準の高さを、自らの目で確かめてください。紙芝居画はみなさまの心の奥にぬくもりをもたらし、ゆったりした時代の陽だまりの場所へと導いてくれるでしょう。

 

 そして、日本の子どもたちの大好きな、この街頭紙芝居を、21世紀の世界の子供たちに紹介することが、私の使命であると決意し、それを実行しております。

 

 今後とも「街頭紙芝居を今に生かす」塩崎おとぎ紙芝居博物館に対し、ご支持、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

 

 

            1999年 米寿の吉日に 塩崎源一郎

 



塩崎源一郎さんとゆうさんの2人で歩んだ紙芝居人生!

 

塩崎 ゆう(1920年~2011年)

 戦前から大阪で食堂を営んでいた ゆう。1939年頃 東京から

大阪市へと拠点を移し、紙芝居屋として生計を立てていた源一郎

との運命的な出逢いの末、結婚。

 戦後の混乱期もふたりで乗り越え、内助の功で源一郎と「三邑会」を支え続けた。

 

 

 全国で唯一、今も活動を続けているのが三邑会ですが、ゆうさんは、夫源一郎氏を支え続け、源一郎氏亡き後も会員を家族のように見守り、街頭紙芝居に必要なネタの仕入れから紙芝居の手入れ、紙芝居の貸し出し、見学者の対応など一切を引き受け、博物館を守り運営を続けました。

 自宅の一部を、紙芝居数万点を所蔵する「塩崎おとぎ紙芝居博物館」として希望者に公開(要予約)しながら、昼も夜も紙芝居の為に働き続け、何の道楽なしに紙芝居の為だけに生きたお二人です。二人の財産は、すべて紙芝居に変わりました。自宅は、紙芝居で埋まっています。

 この灯を消すわけにはいきません。