さわたり しょうじろう(1911-2007) 大阪府大阪市天満の生まれ。
日本画家矢野橋村が校長をしていた大阪美術学校に学ぶ。直接指導を受けたのは洋画家の斎藤与里である。美術学校を卒業ののち、舞台装置関係の会社に務め、歌舞伎座、角座、中座、浪速座などの書き割りや舞台装置の製作に携わる。その才能が認められて、1939年東宝映画に就職。撮影所で主に映画のバックを制作した。1943年大阪にもどり、徴兵で川西航空に努める。
戦後、1950年ごろから紙芝居の絵をかきはじめ、三邑会でもっとも多く絵をかいた画家となった。時代物、現代活劇、スリラー物などさまざまなジャンルの作品をかいたが、時代物を得意とした。天性ともいうべき絵のうまさで魅力的な画をつくり、どきつい色彩は用いずに、中間色を多使った。塩崎氏から日本一の紙芝居画家と評価された天才肌の画家である。
山本梧晴とのコンビで製作した紙芝居が多く、代表的な作品としては「レッドサークル」95巻、「昭和の猿飛」47巻、「南海の果」28巻、「番町皿屋敷」35巻、「少年Gメン」41巻などがある。また「どんぐり横丁に集まれ」は自ら文も書き、氏の持っていた表現技法の枠を集約した作品で、三邑会製作紙芝居の傑作のひとつと言われている。
雑誌「少年画報」に劇画「山中雁之助」を連載したり、ひかりのくにに昭和出版で絵本の仕事もしたが、その後デザイン関係の仕事に携わった。