くつなつとむ

くつな つとむ (1912-2000)愛媛県松山市の生まれ 

本名忽那勉。画家名忽那峰秀である。

 地元の商業高校在学中から絵をかきはじめ、18歳の時に大阪へ出て大阪出版に務め、「奇抜と滑稽」「滑稽新聞」などの挿画をかいた。そのかたわら青木広峰の新燈社美術研究所で絵の勉強を続けた。やがて肖像画などが認められて、画家として自立、上京して画業を続けたが戦争のため中断。戦後は一時松山に居住したが、間もなく大阪に戻り、紙芝居の絵にも筆を染めた。旺玄会会員。しばしば中国へ出かけて山岳の絵をかき、個展を開いていた。

 

 紙芝居の絵は日本画をベースにしており、細かく、丹念にかいたものが多い。絵具としては染料は使わず、もっぱら日本画の顔料を使った。「もう半分」30巻、「犬神村」18巻、「少年竜騎隊」23巻、「変化若衆」30巻などの作品があり、時代物の絵にすぐれたものがあった。