うだの たけし(1914-1980)大阪府大阪市船場の生まれ。
「宇田野武」は、画家武部本一郎(たけべもといちろう)が紙芝居を描いた際に用いたペンネームである。
武部本一郎は1914(大正3)年、父武部白鳳は幸野謀嶺門下の四条派画家。祖父の芳峰も日本画家で錦絵を得意とした。
兵庫県の甲陽中学校を卒業。洋画を学び、戦後京都に居住。1946年、第1回行動美術展に「裏町」を出展して入選、翌年の第3回京展で「すもう」により京展賞をうけた。以後、行動美術展、日本水彩画展にしばしば入選した。1951年行動美術協会会友となる。
1948年ころから京都の鳥居博愛の斡旋により紙芝居の絵を描き始めた。このころ京都の宇多野に住んでいたことから「宇田野武」というペンネームを用いたものと言われる。ほかに「鈴江四郎」「うどのたつを」という名前も使っている。
三邑会では『鉄拳』55巻、『海の鷹 シーホーク』58巻、『南極大陸』24巻、『水星の使者』28巻などをかいたが、後年SF小説の挿画で見せたスケールの大きい、空想力ゆたかな表現がこれら紙芝居の絵でうかがうことが出来る。
1950年大阪の八興出版から「少年ターザン」<日の丸文庫>を出版、ベストセラーとなる。つづいて1953年「少年画報」に「月影四郎」を連載人気を博した。
その後、児童書SF小説の挿画、装丁に腕をふるい、印刷紙芝居の原画にも筆を染めた。没後、『武部本一郎集』(1986、東京創元社)が刊行された。